部屋が片付いていないと余計なことに頭がいく。
もう少し具体的に言うと、頭の使用領域の一部を片付いていない部屋のことを考えることに使用されてしまう状態になる。これは、集中をする上では確実に邪魔になる。

たとえば、服が片付いていないとか、あの手紙はなんだろうとか、あそこ汚いな、掃除しなきゃとか、ティッシュがもうすぐなくなるとか、そういうことが視界に入ると気になってしまう。
職場でも同じだが、家のほうがたちが悪い。掃除をしようと思って大掃除になったりとか、ティッシュがないと思ったら家に在庫がないのでついでにドラッグストアで買うものを探すことになるとか、服を片付けたらランニングウェアを見つけて、最近運動不足だから走りに行ってしまうとか、派生しやすいのが家である。

物理的にものが片付いていないことが悪いのは当然なのだが、この片付けができていないのは「後でやろう」が原因であるから、総じていえば「何かと後回しにする癖」そのものが根本である。あとでやろうとしたことを何かの片付いていないものをトリガーに思い出しているという二つのことが起こっている。

逆に考えると、図書館やカフェが集中できるのは、そういった「自分のやりかけ」が目に入ってこないからだろう。
人の量や物の量で言えば図書館やカフェのほうが多いように見えるが、それらはすべて「私とは関係ないもの」として目に飛び込んでくるから、本当に気になるもの(挙動が変な人、知っている人、興味を持っているもの)がない限りは、頭の中に入ってこない。


仕事ができる人は、ひとつひとつの処理能力だけでなく、状況の整理力が高い。
次から次へとタスクが舞い込んでも平然と割り当て・処理をするには、この片付けをする力の高さも必要だろう。
後回しにせずに、すぐに片づけ、終わったら捨てる。保存するならいつまでか決める。
たかが片付け、されど片付け。ここはひとつ片付けする能力を磨いてみたいと思う。

そう思った今年のゴールデンウィークでした。
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自由にさせて責任も持たせる。人の管理をする上ではこれが一番良いのではないか。

自由の範囲を狭めて、その代わり会社が責任を持とう、というのは、
いわゆる大きな政府の形で中央集権である。

前述の責任を持つ自由は小さな政府の形で、統一感は持たせられないが個別の特色が生きる。


現代の企業運営はよほどの統率能力がない限り(それはトップの人間の力に限らず、メインビジネスの特徴も含め)、
上から下まで清一色で染められない。
もっとアメーバな仕組みでの現場判断が求められる。


マネジメントはそのカオスをカオスのまま一つの方向性に導くことが必要な能力で、
決してカオスを均質な粒にして運びやすいようにするのではない。

部下には自由と責任を持たせよう。

社員からは事細かに評価制度のアレがこうだと、私はどうなるんですか?と問われる。

一応、次のように対応してはいる。

・評価制度の設計思想を説明すること
・評価制度の思想に基づくと個別にはこの判断となるということ
・評価制度は万能ではないこと


結論からすると、私が思う評価制度は、細かな指標を出すか出さないかは別にして
「上の人間が好きな人を評価します」という公言がベストだと思う。

結局、細かな指標は「上の人間が好きな人」はどんな人かを具現化しただけだ。
わかる人には当たり前のことと思われるかもしれないが、一般的に普通の社員は
「評価制度の項目」を絶対視するから問題だと思っている。

私企業で、特に上場していない、200人以下くらいの企業であればなおさらである。
むしろ評価制度と好き嫌いが半々であることは実感できるだろう。


大企業でも中小企業でも、この評価基準にすれば絶対に大丈夫というものはない。
絶対に伸びる株の銘柄もなければ、絶対に儲かるビジネスもないのと同じく、
絶対に皆が満足して、正確なひとつのものさしで測れるような評価基準はない。

絶対にない。

その瞬間は99%が納得しても、少しでも環境が変わり人が変われば、合わなくなる。
「皆が満足する」という言葉自体、変化に対応する必然性を含んでいる。
人が替わっても、入れ替わったメンバーが満足していなければいけないからだ。

それでも今現在、良い制度を持っている企業というのは、形はどうであれ
変化への対応を社員にコミットさせているわけだ。

変わっていく中でも会社は最善を尽くすので、皆も最善を尽くしてほしい、
同じ方向性で最善を尽くした人を評価する、という合意形成が全体として
取れている会社は評価制度も「良い」ように見えるだろう。

それは評価制度だけでなく、評価からの昇給・昇格、降格などの仕組み、
採用の受け入れや教育研修、退職勧告にいたるまで全般がクリアで
それぞれに思想が一本筋で通っている制度になっているはずだ。

組織の強さとはこういったものを示し、個々人のエゴを上回る形で
チームを思いやれるメンバー育成がそれを支えるのだろう。

洗脳のようにも見えるが、全面的に思想を植えつける必要はなく、
この部分に関して意図が伝わっていればそれでよい。



制度をつくるのではなく、組織をつくるという発想が必要なのだ。