今、仕事で第二新卒的な若い後輩の指導をしながら仕事をしているのですが、
そこで多くのことに気づくことになりました。


まず、教えているのはこちらのはずなのに、おそらく教わっている彼より
私のほうが新しい発見が多いだろうこと。

仮に10の説明をして、彼が3~5を理解したとします。
しかし、その話をしながらこちらは既知の事の理解が深まるだけでなく、
その説明におけるたとえ話などで、ほかの概念と結びついたり、
より端的な表現を見つけたりと、10どころか15くらいの理解に
なっているということです。


また、社会人暦の差なのか、年の功か、わかりませんが、
非常に後輩の言動が読み取れるということも発見です。

むしろこれはその後輩だけでなく、来客に来た営業担当でも
手に取るようにわかりました。その方の過去の経歴が当たってたときは
われながら驚きましたが。


そこで相対的に見えることがあります。

つまり、私の行動も50歳の上場企業の部長さんとかからすれば
お見通しなんでしょうね。
仕事を通じていろんな人を見てきてるでしょうし、
裏切りにもあいながら、人を信じてみたり、見抜こうとしてみたりを
繰り返しながら実績を積んでいることでしょう。

そんな人の前で小手先の嘘を固めた話をしてもしょうがないのは
一目瞭然ということですね。

いまさらになって、いかに素直に純粋に営業することが
大事かがわかりました。


人生、学ぶことが多いものです。生きててよかった!
スポンサーサイト
8人の直属の部下と、40人の要員管理をしていて
経験で気づいたことをまとめます。

もしかしたら、すでに研究されていることで、
そちらを参照したほうが早いかもしれないことは
いうまでもありません。


気づいたこととは掲題のとおり「自己評価」の高さに
関することです。

誰も正しく判断できないことだとは思っていますが、
人は自分の実力通りの自己評価をできるのは稀です。
誰しも、自身を過大に評価したり、過小に評価して
いることでしょう。

しかも、普段周囲に対して語っている自己評価と、
ふと一人で考えているときの自己評価が異なることも
多いでしょう。自分でも自分をどの位置で評価しているか
わからなくなっていると思います。

ただ、たとえば10人で組織されているチームがあって、
その中で自分は何位ぐらいの実力かと問われれば、
それぞれ頭の中に思い描く順位はあるのではないかと。
そんな自己評価を元に考えてください。



前置きが長くなりましたが、その自己評価が高い人、
低い人がいるわけですが、極端に高いと
いわゆる「うざい人」になってしまいますし、
極端に低いとネガティブな人に映るでしょう。

人をマネジメントしていて大変なのは、
その高低に飛びぬけた自己評価のずれではないか
というのが、今回の気付きです。

つまり、今回の仕事はレベル8、Aさんの実力はレベル6。
少し高めを臨むけど、サポートはするし、いい成長機会なので
がんばりましょうというような話をするときに
受け取り方がずれてしまうのです。

高めに勘違いしてる人:レベル8?いやいや、僕はね、
           次はレベル10の仕事したいんですよ。
低めに勘違いしてる人:レベル8?とんでもないです。
           私にはレベル4くらいの仕事しか無理です。


こちらの算段では大丈夫だと踏んでるので、
まずは素直に取り組んでもらいたいと思っても、
ここにズレが生じていると、ちょっと思ったとおりに
進まなかったときに、また面倒です。

高めに勘違いしてる人:ミス?したかもしれませんが
           こんな仕事じゃ本気になれませんよ。
低めに勘違いしてる人:ほら、ほら言ったでしょ。
           私には難しいんです。

そして、厄介なのは、高めに勘違いしている人の中で、
「私はできる人間なので謙虚さも持ち合わせている」
と言わんばかりに、高めに勘違いしている本音を
うまく隠せちゃう人です。

また、同様に、低めに勘違いしている人の中で、
本当はエリートからの転落等で、部分的には強く
自信を抱いている部分があるような人も厄介です。

どちらも両端を持ち合わせているわけですから。



さて、これらの分類に対して、私なりの解は
一応は出ているのですが、長くなってしまうので
まずは今回は「自己評価」という面でのメンバー分類
という点を抑えたいと思います。


これを読んで、明日のメンバーとの接し方の
ヒントを得られた方が一人でもいることを願って。。。

最近、子供(もうすぐ3歳)が物事を理解し始め、
言葉もたくさん覚えて、生意気盛りなのですが、
その中で困ったことがひとつあります。

#困ったことがひとつ、って書くと、またヨメに
#ひとつどころじゃないでしょ、ちゃんと見てないから
#ひとつしか見えてないだけでしょ!と怒られそうですが、
#幸運なことにヨメはこのブログの存在を知らない。

それは歯をなかなか磨いてくれないことです。

どう話をすればいいのか、いまのところ無理矢理やるか、
怖がっているものを提示する方法しか効果的なやり方がなく、
あまりスムーズに事を運べていません。


そこで、いっそ乳歯は適当にやって、乳歯が抜けたときに
「歯を磨かないからだ!」と言って新しい永久歯を大切にさせる
とかいう妄想を考えたりしたのですが、
(実際は乳歯を蔑ろにするのはよろしくないようです。→こちら参照
そのとき非難されるとしたらおそらく「子供に嘘を教えること」でしょう。

いま、わが子はひらがなはゆっくり読めて、
おおむね会話も成り立つので、嘘も真もそのまま
記憶していきます。

そのため、現時点でも嘘を教えると、嘘のまま認識しますし、
きっとそれが正しい(親が嘘を教えるなんて概念すらない)と
思うでしょう。

乳歯が抜けたのは歯を磨かなかったからだ、と教えて育てたら
真実を知った時にどのような思いになるだろうか、
そう考えたとき、この作戦は無効になりました。
(そもそも乳歯もきちんとやるべきでしたが)


と、ここまで考えたとき、ふと気づいたのですが、
多くの親が教え込む壮大な嘘、「サンタクロース」については
どうなっているのでしょうか。

いるはずないものをいるかのように「積極的に」だまし、
結局はいないということをいつか子供が知った時に、
親は、その嘘をついたことを謝っているのでしょうか。

ちなみに私自身は、サンタの存在をそもそも通告されないで
育ったので、嘘と種明かしというイベントはありませんでした。


世の中の親御さんはサンタという嘘の責任をどう取っているのか。
実に興味深いものです。
機会があったらぜひいろんな諸先輩方から話を伺いたいものです。

今日はここまで。