2017.09.16 [287hits] SNS
今日は何となく思いつき。調べ事もしていないスカスカの記事です。
放置していると広告が入るのでたまには何でもなくても更新しようと思いつきました。
2000年頃は、各社がホームページを持つと同様に、個人も一人一つホームページを持つ時代が来るという話がささやかれ、一部ではホームページ作成ツールのネズミ講なども流行っておりました。とても懐かしいです。
実際はそんな大げさなものにはならず、もちろんホームページを構える個人の方も多々いましたが、自分で何から何までつくるのではなく、簡単に情報発信ができるSNSが流行りました。2005年ごろから日記のページとコミュニティ掲示板などを兼ね備えたmixiがその中枢を担っていたと受け止めております。
同時にホームページほどではないが少し情報発信にこだわりのある人はブログも持っていると、そんな感じでしょうか。
その後、2010年になるころにはTwitter、Facebookなどがスマートフォンと同時に台頭し、日々どこにいても手元に持っている情報端末から、その瞬間の情報を瞬時に短文で発信するライフスタイルが定着しました。
2015年ころから画像や数秒の動画を手軽に加工してUPするような流れも出てきまいた。インスタグラムが今若い人の間ではものすごく流行っています。
話を2000年に戻しますと、「個人も一人一つホームページを持つ時代」というのは遠からず外れてないように思います。むしろ、考えようによっては、一人がFacebookもTwitterもブログも持っていたりするわけで、用途に応じて様々な情報発信をしています。ホームページを持つより確実に個人を探せて、個人は確実に情報発信ができているわけです。ネズミ講の話にも本物の推測があったわけです。
と、それだけです。
SNSがここまでくると、倫理観で歯止めをかける以外のことは大抵がWebに乗っかってしまいます。旅行先も「見る」だけのものはだんだん有難味が薄れていくものもあり、体験型が人気を出してきていますね。10年20年でだいぶ世の中変わったなと思いました。
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才能とは生まれもったもののように思われる。
しかし、最近AIの機械学習などを見聞きしている中で、才能とは努力なのではないかと思うようになった。
AIで言うネコとイヌの違うを認識する力は、大量のネコとイヌの画像を見せることで違いを自ら学習することで身につく。
私たちもイヌとネコは幼少の頃からよく目にするので違いを認識できる。
私たちなら日本人と中国人、韓国人の区別もつくだろう。だが、アラブ系の顔の違いはなかなか区別がつかない。普段目にしないからだ。一方でアラブ系の方々であればその逆の現象が起こるだろう。そもそもアラブ系と括っているがペルシャは違う、とか(実際のところは知らないが)。
音楽というものも、好みの違いはあれど、作曲技法やコード進行、演奏の難しい楽器や、その時代の電子楽器技術の背景などを知ってるか知らないかで、語れるものはある。
写真も、好みの違いはあれど、絵としての構図、色合い、遠近法などのポイントを知っているのと知らないのでは撮る絵は変わってくる。
それは好きで大量のデータに触れていたかどうか。生まれもった能力ではなく他人が知らないところで(もしかすると本人も知らないうちに)どれだけ積み重ねたかであろう。
プログラミングのセンス、で考えればわかりやすい。いまの40代は確実に後天的である。そんなDNAなどありもしない。学生以降に興味を持って時間を投じた結果だろう。
同じ努力をできるかどうかは別として、他人の優秀さを才能と片付けず、努力を讃えるようにしたい。
年も明けたし、珍しくゲームの切り口で。
攻略本はキャラクターパラメータや全マップや呪文・道具一覧だけでなく、キャラクターデザイン集など攻略には不要な情報まで詰まってる。
攻略本買ったらゲームをクリアする楽しみがなくなると昔は思っていたが、そうではなかった。俯瞰してどんな設定たったのか、製作者がどういうことを考えて作っていたか、発見できなかったゲームの隅々までを味わい尽くすために必要なものだ。
大人になって思うのは、そこまでやるやつほど仕事を徹底的にできる。オタクの方が良いのだ。70%で諦めるより、100%やりきる人間でありたい。