雇用拡大と残業増加、ワークライフバランスについて。

日本の仕事のスタイルにおける問題点は、属人性にあったんだと思います。
属人的になることが悪いのではなくて、すべてが属人的になってしまうことが
問題なのではないでしょうか。

基本的に、仕事は自分で完結しないようにする。
自分ではない人でも同じようにできるようにすることが、仕事に求められること。

そして、それが人を仕事から解き放つ術になり、休暇取得へとつながる。
その人しかできないものだったら、長期的な休暇は仕事の回転が停止することを
意味しますからね。

他人が同様の成果を出せるような体制が、休暇取得促進になり、
そういった体制が、仕事の分業化を可能にし、分業化、細分化が短時間雇用を
可能にし、雇用拡大へとつながる。

あれ?あってます?


ただ、どれだけマニュアル化しても、属人的にならざるを得ない点、
その人のセンスが左右する点はあります。
それを楽しめる人が仕事漬けでも人生を豊かに送れる人。


話題はズレますが、仕事が楽しいなら「残業がいや」という観点で働かないでしょう。
十把一絡げに残業を悪く扱うのはまずいですし、ワークライフバランスという武器を
振りかざすのもよくない。
けど、仕事よりも家に帰ってからやりたいことにプライオリティを置く人もいるので、
その人のための仕事スタイルというものがあってもいいと思います。

何事も個人に合わせたスタイルを企業が提供し、個人は個人の責任において
そのスタイルを選んでいけばいいんですね。

もちろんそれが社会の繁栄につながっていかなくてはならないのはいうまでもないです。

年をとるにつれて時間がたつのがだんだん早く感じるという風によくいわれます。
小学生の夏休みは何でもできる時間があったように思えますが、今の8月はあっという間に
過ぎ去ることからもあきらかです。

小学生の時は世界も狭く、知っていることもやりたいことも限られた中でしたので、
変な言い方ですが、今からすれば「暇」だったんでしょう。
また、やるべきことも1時間、2時間という単位が普通。長くて2泊3日くらいの旅行が
夏休みの最大のイベントだったのではないでしょうか。

しかし、大人になると世界が広がり、アレもコレもやりたいですし、仕事の単位は
何ヶ月、旅行に行くとしたら1週間は出かけたいものです。

こういった「量」と「単位」の違いが、時間の経過を早く感じさせる原因なのかと思います。
もしかしたら、すでに誰か学者が論じているかもしれません。


さて、私が今回気になったのは、上述の点ではありません。

もし、時間がたつのが早く感じるのが錯覚じゃなかったら?という点を考えてみたいのです。
つまり、20年前の1秒と現在の1秒の長さを比べると、本当に短くなっているのではないかということです。

時計の針も、植物の成長も、砂時計の落下速度も、地球の自転も公転も、
すべてが本当に少しずつ早くなっていて、誰も気付いていない状態。

私の親世代が子供だったころより、私が子供だった時代の方が1秒がわずかに短く、
その時代より、今のほうが僅かに短い。今の時代の子供たちが大人になったら、
1秒がもっと短くなっているという世界。

だから、誰もが年々時間がたつのが早く感じる。

2000年前などと比べれば、もしかしたら1秒の長さが2倍くらい違うかもしれません。


99%空想の笑い話です。でも、宇宙の果て(何万光年先)が膨張を続けている!という
誰が確認したんだかわからないような話がわりと信じられているものですから、
こんな理論があっても面白いのではないでしょうか。

もしかしたら宇宙の膨張が原子レベルで世界の時間を狂わせているのかもしれません
???
2008.07.23 ノー残業デー
会社がノー残業デーを設けるていては、残業が無くなる方向には進まない。

と、思います。


会社がノー残業デーを設けないから残業してしまうんだ!
もしノー残業デーがあれば早く帰れるのに!

と言う人がいたら、それはノー残業デーとかの前に何かがおかしい。
きっと残業する必要がないのに帰れないというような会社だろう。

ノー残業デーを会社が設けなくても、部署単位で実行できて、
部署単位で実行しなくても、個人ベースで実行できればいい。
むしろ、こんなことは個人ベースでやるのがいちばんだ。

なぜかと言えば、自分の作業の進捗を自分でしっかり管理すれば
たまに残業をしなくて済む日くらい作れるからだ。
その証拠に、前日と翌日頑張るから、飲み会のある日は残業しないで
街に繰り出せる。

営業職で外回りをした後に、定時後、事務処理をする人などは、確かに
残って作業することが多いだろうが、それでも飲み会のある日は、きちんと
あがることができるなら、ノー残業デーをつくることも可能だろう。

そもそも、ノー残業デーをつくる必要があるのか、どうなのかはまた別の話。
今回は、管理する側としてのノー残業デーについて。
2008.07.22 お笑いに学ぶ
いつもお笑いには大変勉強させられている。

会社説明会というプレゼンテーションをするにしても、
要するに「SHOW」でなくてはならないと考えている。
話には流れがあり、笑いがあり、関心をひくところがあり、
緩ませるところがあるわけなのだが、特に、人の気をひくという
点においては、お笑い芸人の技術は優れたものがある。

ふとした「間」であったり、勢いの強弱であったり、話の戻し方であったり、
場面設定の伝え方であったり。。。一笑いさせてもらった後に
もう一度楽しめるのである。

そう考えると、私は仕事上笑いをとる必要はないので幾分か楽なのだと思う。
その分は「いかに正しく伝えて興味を引くか」に注力できる。


また、単純に人の笑わせ方、つまり感情の揺さぶり方のポイントも学べる。

一石三鳥。
今後も勉強させてもらいたい。
人脈」関連の本を読んでいると、必ず「自分から情報を提供する」という
キーワードに引っ掛かります。

いつも、ここで悩んでしまいます。
私は人に何を提供できるのだろうか、と。


かつては、教えてもいいけど教えなければ自分が一番!というシチュエーションでは
人に教えたりしない性格でした。恥ずかしながら。

高校の頃に、みんなが生物の授業が分からないと言ってたので、出し惜しみなく
教えたことをきっかけに、人に自分の知っていることを教えて成長してくれると、
たとえ自分より上にいかれてもすがすがしいというか、なんか満足感を得られるものだと知りました。


それからは、なるべく人に自分の知っていることを教えようとしているのですが、
なかなか、自分よりすごいなぁと思える人に私が何を提供できるかわからない日々です。

いつも自分探しをしています。

人生とは自分を探す旅なのか?たぶん手垢だらけの言葉でしょうけど、
やっぱりそう思ってしまう今日この頃です。

とりあえず、このブログ等で何かしら自己満足にならないものを、
人の役に立つものを発信できたらいいなぁと思いました。

ふだんブログを書くときは、そのときに思いついたことを書くように
心がけているのですが、家でPCに向かう頃にはすでにOutputをしている
ことが多いです。

つまり、仕事で感じたこと、帰りの本で読んだことなどは、だいたい
その場で既に常備している日記に手書きで書きこんでいるのです。

そのときに、いくら「あとでブログにも書きたい!」と思っても、
意外と同じ内容をもう一度Outputするのって気が乗らないものなんですね。

よほどのことでないとそのまま書き写そうとはしないです。
たいてい、すでに日記に書かれた内容から発展させて、違う思考を展開してます。

InputしたらOutputすることが大切。

そう学びました。
そして、2,3のInputから1つのOutputはできました。
しかし、1つのInputから2,3のOutputは気乗りしないものなんだなー
ということに気づいた夜でした。

2008.07.03 意味の喪失
人間は相当の苦難にも耐える力を持っているが、意味の喪失には耐えられない
(V.E.フランクル)

ということで、新人の指導をしていて気をつけなければならないと
感じたので、考えてみることにしました。

新人はとにかく仕事の楽しさを知ることが大事だと思います。

仕事は麻薬みたいなもので、、というと語弊があるかもしれませんが、
仕事はスポーツみたいなもので、練習したらできた!試合に勝った!ような
ドーパミンがでる感覚を体感すると、ちょっとまたがんばろっかなってなります。

じゃないとスポーツは疲れるし、筋トレとかありえないし。
仕事も「食べるために」だけでやれるほど、私たちの意思は強くありません。

成功体験が、明日の仕事を作り出すんだと思います。


前置きが長くなりました。まるでそっちが本題かと思ってしまいました。
で、その仕事を続けるモチベーションづくりの一歩目として、
仕事の楽しさを知ることが重要なんですね。

その楽しさを伝える際の危険の芽が、本題である
「意味の喪失には耐えられない」ということです。


急ぎの料理番組のように、作らせておきながら、
「こちらが今作ったものを1時間置いといたものです」
と、これまでの努力を台無しにしてしまうと、
自分がやっていたのはなんだったのかと脱力してしまうのですね。


終電まで残って、この資料の作り直しを手伝ってくれ! というのと
定時まで暇だからPCの電源つけたり消したりしてて! というのでは

単純に前者のほうがやりがいを感じますよね。

そういうことだそうです。

2008.07.02 組織と保守
数年前までは、会社組織への所属は一時的なもので、優秀な人間は次から次へ
職場を変えていくことで、キャリアアップが図れるという理論が展開されていた。

その時には、会社組織を愛することよりも、自分自身のためだけに働くような
そんな風潮だったように思い返される。

今、学生や新卒社員に聞くと、大抵が入社した会社にずっといたいと
いうような願望を持っている。その割合が統計的にも増えているそうな。

しかし、不思議なことに彼らからは「会社組織のために一生懸命頑張ります」
というような、数年前と逆の印象は受けない。
まぁ、私がそう感じているだけかもしれない。
でも、今回の主題はここなので、私の感覚で話を進める。

つまり、新卒で入社した会社にずっといたいとは言うものの、その組織のために
がんばるぞという気持ちは付随しないようなのだ。

では、会社はどうやってその個人を守れるのだろう?
その辺の自覚がないのかもしれない。

かつては会社が一生面倒みてくれるから、会社のためにがんばるぞという
時代があって、今度は会社なんて一生モノじゃないとわかって個人の時代に
なって、また戻ったのかというとそうじゃないんですね。

どちらかというと、なんかうまいこと楽に過ごせないかなー感が漂って
いるんでしょうね。

もちろん、これはすべての人にあてはまるわけではありませんし、
誰か特定を指定しているわけでもありません。
統計からでてくるコメントなどから、そういう風潮なのではないかと
推測しているだけです。

・・なだけに、どうぞ若い社会人の方にはそんな浮ついた人生を
送らないでほしいと願うばかりです。